ここでは、協同組合日本写真家ユニオン(以下JPU)が取り組む写真著作権についての情報、意見、考え方などを随時、提供していきます。
JPUは、写真における著作権管理事業を行うことができる団体として文化庁に登録された団体です。これは2000年に制定された「著作権等管理事業法」にもとづいて、法に定めた管理委託契約約款と使用料規定を届出し、2007年に登録団体として認められました。
登録団体としての著作権事業の対象は、JPUの組合員から委託を受けた作品に対してなので、組合員から預かった作品を販売する時点で、使用料規定が使われることとなります。もちろん通常の写真使用の料金目安となっていることは、云うまでもありません。
現在JPUに組合員から販売委託されている作品の種類、数は、利用者の多彩な要望に答えられるだけの量ではなく、事業として進められるコンテンツの確保が最優先となっています。また、預かった作品を販売するシステムが、すでに稼働を待っており運用態勢の整備を進めているところです。
尚、写真著作者の財産(フィルム、プリント、データ等)そのものが許諾のないままに使用されるなど、使用者側が社会的ルールとして著作権を守らないと、罰則が適用されます。
副理事長のあがたせいじが月刊著作権専門情報誌「コピライト」に寄稿しました。
著作権レポート 31号ニュースより2009.12.5
JASRAC創立70周年に思う
日本の著作権管理団体の草分けであるJASRAC(日本音楽著作権協会)が、この11月18日に1939年の創立から70周年を迎えた。我が国の著作権法は、1899年に制定されており、1939年当時既に40年の時が経過していたのだが、その実情は、多くの国がそうであるように、国際社会で対等にお付き合いしていく必須条件として、国際著作権条約であるベルヌ条約に加盟させられ、それに伴って国内法を整備したということだった。ところが、その間は、実際には「著作権法あって著作権なし」という状態が続いていたのである。そして、このJASRAC誕生には、更に「プラーゲ旋風」なる前史があった。
ドイツ大使館員として来日し、退官後には、松山高等学校や府立高等学校教員として日本に在留していたプラーゲ氏が、ヨーロッパの著作権団体や、有力出版社の代理人として、それまで当然のように無断で行われていた翻訳や演奏等の著作権使用料の取り立てや権利侵害の告訴等をつぎつぎと行なったのである。これを善しとしない関係業界と国は、外国曲の著作権使用料が国外に持ち出されるのを「国益に反する」として躍起になって防ごうとして対プラーゲ作戦にキリキリ舞いさせられたのである。
結果的には、はからずも音楽著作者の権利意識の向上や、実際にこれを守る組織の結成、そして現在の「著作権等管理事業法」の前進である「仲介業務法」の制定、そしてついに「音楽著作権協会」の創立に至るのである。
このことは著作権使用上の大原則「著作者の許しを得て、正当な対価を払って使用する」
がきちんと守られる新たな時代の幕開けであったと言えるだろう。この意味で、プラーゲ氏の活動を現時点で見直して再評価し、我が国著作権史上の恩人として顕彰するようなこともあってもいいのではないだろうか。
(副代表理事/あがた せいじ)
著作権レポート2 32号ニュースより2010.3.10
写真著作権の落とし穴
ずっと言い続けていることではあるのですが、やはりここを避ける訳には行きませんのであえて取り上げます。日本では著作権は著作者の生存中ならびに死後50年保護されるというのが一般的認識だと思われますし、文化庁もそう言っています。しかし、私たちの生業である「写真」については、これが当てはまらず、本人が生きているのに著作権がないという、全くもって前近代的な部分を抱えています。つまり、写真著作権の保護期間が1899年から1970年まで、公表後10年(新法制定直前に暫定延長され、最終的には13年)という極めて短かった結果を、今だに引きずっているのです。1970年の新著作権法に乗り遅れた1956年(昭和31年)までに制作・公表された作品の作者は、既に70才以上の方で高齢です。年々その該当者もへってきています。このことが問題になり、文化庁に意見書を提出したり、各界に働きかけた当時には、生き証人として盛んに発言されていた丹野章氏や田村武能氏も、最近は発言されなくなっています。 こういう話をすると「そんな昔の話は自分には関係ないわ」「そんなこともうどうだっていいじゃないか」「今は写真家という職業そのものが今後存続し得るのかどうかという時代なんだからもっと仕事を増やして食えるようにしてほしいよ」という人たちも大勢います。しかし一方的に使う側にたったルール無視や破壊を許してしまっていることが私たちの生存権をもおかしているのではないでしょうか。本人が生きていても自由に使える写真があるということが、ヒョッとして「写真って、どれでも勝手に使っていいんじゃないかな」とか ネットで育ってきた人たちの中には「ネット上なら何をやってもいいし、もしダメだとしても捕まりっこないから平気」という人たち。このように知らない強みで闊歩するひとたちを助長することになるのだろうと思います。一見ダサくって勇気も要り、しかも損することであっても、おかしいことは「おかしいんじゃない」といい、相手が国であっても業界大手であってもキチッと主張していくことが大切ではないでしょうか。
*文化庁がこの問題の改善措置をとろうとしないのには、法曹界の「不遡及の原則」という、後から決まった法律でさかのぼって罰しないという考え方と、対象者がきわめて少数で、社会的正義に反しないということのようです。
(副代表理事/あがた せいじ)


























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